暇という不安の正体

いつも何かと忙しくしていて、口癖のように「バタバタしておりまして」と断りの決まり文句で誘いを断っていないか。

「では何に忙しいのか書き出してみろ」と言われても大したものは出てこないことも多いし、出てきたものについて、「つぎ込んだ時間を横に書いてみろ」と言われても大した数字が並ばないのではないか。

(かくいう私がそうであった)

その時私は暇を恐れていた。

誰よりも忙しく働き、たくさんのことインプットしなければ必要とされなくなってしまう不安をいつも抱えていた。

口では成果だ効率だといいながら毎晩遅くまで会社の机に齧り付いていることが心の安定をもたらした。(今思えば身体は疲れて、心の余裕もなくなる。)

他人は【早く帰る=仕事してない】と決めつけて自身の居場所を確保した気になっていた。

手段としての長時間労働を否定しているわけではない。

正体の見えない不安を消すための長時間労働はいただけない。これは何の解決にもならない。

なぜ、長時間働くのか、そこに大義はあるか?

「最も貴重な資産である時間」を仕事というそれっぽい理由で浪費せぬよう常に見直しをしておきたい。

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